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神戸女学院大学
准教授
南出和余さん

世界のアパレル産業を支えるバングラデシュ。過酷な労働条件に苦しみながら、縫製工場で働く実在の女性の闘いを描いた映画『メイド・イン・バングラデシュ』を観てきました。映画の日本語字幕を大学生たちとともに担当された南出和余さんは、神戸女学院大学でバングラデシュに関する研究をされています。字幕を付けることの苦労やバングラデシュでの活動についてお話を聴かせていただけることになりました。

メイサ:こんにちは。今日はよろしくお願いします。南出さんは毎年バングラデシュに行かれているとお聞きしました。毎年行くことでわかったことはありますか?

 

南出さん:私が初めてバングラデシュに行ったのは1996年です。現地の子どもたちと一緒にベンガル語を勉強しながら長期フィールドワークするようになったのが2000年。それから更に22年経ちますから、大きく社会が変わっています。当時、子どもたちにこんな質問をされたことがあるんですよね。「月と日本はどっちが遠いの?」そこで私は「どっちだと思う?」と聞いたら、「月は見えるけど、日本は見えないから日本の方が遠いと思う」と話していました。今は、その子たちが日本にいる私にSNSで電話をし、多くの子どもたちのお父さんが海外へ出稼ぎするようになりました。お父さんは毎日のように電話で連絡をとり、仕送りをしてくるわけです。外国が日常生活の中で近くなったのは、子どもたちにとっても大きな変化ではないかと思います。

メイサ:私もベンガル語をバングラデシュ人の友達に習ってるんですけど、なかなか上達しなくて。南出さんはどうやって習得されたのですか?

 

南出さん:大学3年生の時にNGOのスタディーツアーで行ったバングラデシュに魅了され、大学院で研究したいと思うようになりました。最初は、日本にいる留学生に教えてもらっていたんですけど、全然上達しなくて(笑)それで、ダッカにある語学学校に三ヶ月通ったんですね。基本的な文法なんかは勉強したんですけど、すぐ喋れるようになるわけじゃないですよね。私は、子どもが学校に通うようになることで社会にどんな変化があるかを研究したいと思っていました。そこで「子どもと一緒に過ごした方が、子どもたちの目線から社会を知ることができていいな」と思って、NGOの小さな学校で小学4年生のクラスに入って一緒に勉強したんです。その時はベンガル語が子どもたちよりできない24歳の大学院生でしたが、みんな友達のように受け入れてくれました。わからないところを教えてもらったり、時にはカンニングしたり(笑)お昼休みも一緒に遊んで学びました。

【日本とバングラデシュの違い】

メイサ:教育面での日本とバングラデシュの違いはなんだと思いますか?

 

南出さん:制度の違いはたくさんあります。日本の場合は、小学校と中学校はみんな卒業できますよね。しかし、バングラデシュでは一斉テストがあります。全国みんな同じ日に受けるんですけど、そのテストに合格しないと小学校も卒業できないんですよ。日本は小学校6年間、中学校3年間、高校が3年間ですよね。でも、バングラデシュは小学校5年間、中学校5年間、高校2年間なんですね。それぞれ修了時にテストがあります。更にもう一つ加わって、全部で5、8、10、12年生修了時に全国一斉のテストがあって、それに合格しないと次の年にもう一度受け直しです。そこは大きく違います。でも、10年生修了資格、12年生修了資格を持っているかどうかは、その後の人生にずっと関係してきます。パスポートの申請も10年生修了資格が必要です。システムとしては大きな違いです。

メイサ:10年生修了資格がないと、ビザの申請もできないのですか?

 

南出さん:取得できない国もあります。行く目的によって変わりますね。例えば、出稼ぎに行く先は中東などのイスラム圏が多いのですが、その人たちは10年生修了資格を持っていないことも多いです。その仕事をするのに資格が必要なければ行けます。でも、理由によってはビザが下りないです。

母:バングラデシュの物質的な豊かさと心の豊かさについてはどう思いますか?

 

南出さん:心の豊かさについては感じることがよくあります。私がバングラデシュをこんなに好きになったのは、そこが大きかったんですね。バングラデシュの人間関係はすごく近くて、繋がりを大切にするんですよね。日本人は用事がある時以外あまり電話をしないじゃないですか。私の両親が堺に住んでいるのですが、用事がなければほとんど電話をしないんですね(笑)でも、バングラデシュの人たちは毎日電話をするんです。それで、私がいつもお世話になるホストファミリーにも、たまにしか電話をしないとすごく怒られるんです(笑)会ったこともない日本の両親のことも必ず「元気か?」と聞きます。人との繋がりをすごく大切にするところは違うなと思いますね。

【生まれて初めてバングラデシュへ】

母:南出さんが「バングラデシュに行く」とご両親に伝えた時の反応はどうでしたか?

 

南出さん:最初は、どうしてバングラデシュに勉強しに行きたいのかが分からないと言われました。両親は知らないことが多く、心配していたんですね。大学で文化人類学の先生に出会い、3年生の時にバングラデシュに行きました。人類学のフィールドワークをやってみたいと思った時、その先生がすごくサポートしてくれました。先生が両親に、「今、フィールドワークに行くということが、きっと将来において良い経験になります。」と言ってくれたんですね。親子以外の関係の中でサポートしてもらったことをすごく覚えています。また、バングラデシュでお世話になっていたNGOの方に私の実家に来てもらったこともあります。「バングラデシュでは自分たちがサポーしているので、お母さんもお父さんも大丈夫ですよ。」と言ってくれました。

母:よく行かれましたね(笑)

みんな:(笑)

南出さん:たぶん、メイサさんもそうだったと思いますが、初めて行った90年代の頃は「アジアの最貧国」っていうイメージがすごく強くて。街の中に物乞いの人がいるようなイメージがあったんですけれど、行ってみるとすごくエネルギッシュな国。滞在中の二週間、私が何かできるかっていうと何もできなくて、むしろ皆さんに助けてもらうっていうかね。助けてもらう中で子どもたちと接している時にふと気づいた瞬間がありました。「あぁ、子どもたちの顔は一人一人違うんだ」って思ったんです。すごく当たり前ですけれど、その時に「もっと子どもたちのことを知りたい」と思って、研究に進むことにしました。国際協力の仕事に携わるとかも考えたんですけれどね。皆さんがどんな関わり方をしていくのか楽しみですよ。

 

母:NGOというのはお金や物資を提供しがちですが、マザーハウスなどはビジネスとして労働対価を支払っていたりするじゃないですか。そういう活動をNGOでできたらいいなって私は思います。

 

南出さん:2008年にノーベル平和賞を受賞されたバングラデシュのムハンマド・ユヌスさんが始めた「マイクロクレジット」が世界中に広がっています。これは、貧しい人にお金を貸し、借りた人は始めたビジネスで収入を得ながら返済していくシステムです。利子が結構高いんですよ。でも、その利子を元にして、また次に貸すというように活動を広げていくことができます。全体的に見ると、社会貢献しているんですよね。そのユヌスさんが「これからは、ソーシャルビジネスの時代。単に会社のためじゃなくて、社会に還元でき、社会に利益になるビジネスを目指していかなければいけない。」と言っています。今はバングラデシュでも、ソーシャルビジネスの方が強くなってきています。マザーハウスなんかはよく頑張っているなと思います。

【NGOの役割】

ココナ:具体的にどんなことをしたらバングラデシュの人たちのためになりますか?

 

南出さん:いろんな分野がありますが、教育の場合、バングラデシュでは95%の子どもたちが小学校に通うことができています。残りの5%は行けない、もしくは行ってもやめてしまう子どもたちですが、そういった子どもたちのためにNGOがサポートするのも一つですよね。アパレル産業では、日本で一番輸入量が多いのは中国製、その次がベトナム製、そしてバングラデシュ製なんですね。世界的に見るとバングラデシュ製は第2位の生産量です。 1位は中国製です。 大量生産するメーカーがそれを作らせているわけですが、興味のある人は知っていますよね?縫製工場で働いている人たちが安い賃金で働かされているのは、私たちの服が安くなっているからなんですね。 そういう意味では、私たちの生活と繋がっています。 私たちの取り組みが、今すぐバングラデシュの女性たちのお給料を上げるわけではないけれど、それが問題なのだと皆が気づき、服を買うときに意識するようになったら、消費者がそういうことを気にすると分かったら、メーカー側も労働者をむげに扱うことはできなくなり、改善を求められますよね。私たちがディスカッションして、問題を意識していると示すことは、すごく大切なんじゃないかと思います。

 

ココナ:バングラデシュに学校を作る場合、費用はどれぐらいかかりますか?大変なことはありますか?

 

南出さん:バングラデシュの学校は、地域の人たちが土地を提供しあって建てたケースが多いんですよ。提供された土地にNGOなどが建物を建てたり、自分たちで学校を建てたりしています。その村で教育を受けた人が先生になり、学校を政府に登録すると、近くに学校がなければ政府は補助してくれます。1990年代にはそのシステムのおかげで農村にもたくさん学校が広まりました。校舎を建てることに対して海外からの国際援助が入るケースはよくあります。建物は一度建てたら何年かは維持できますよね。でも、先生のお給料や給食など運営費は毎年必要なので、なかなか難しいですね。小さい学校だと一学年に1クラス。5クラスつまり5人の先生で一年間の運営費は50万円くらいかと思います。少し前まで建てるのは150万円くらいと言われていました。今は円安ですけどね。

【南出さんからのアドバイス】

母:先生はどんな中学生でしたか?

南出さん:私は堺の中学校出身なんですけど、朝から晩までソフトボールをやっていました(笑) 

母:似合いそうです(笑)

 

南出さん:中学校の時は真っ黒に日焼けしていました。皆さん中学生なのに偉いですね。自分の体験したことを伝えたいと活動するって素晴らしい。

 

メイサ:幼稚園の時からやっていました。

 

南出さん:へー、幼稚園の時から!

 

メイサ:NHKのドキュメンタリー番組を見たんですよ。その時、12歳の女の子が児童労働でレンガ運びをしていて、それで得たお金はパンを一個買えるかどうかぐらいの金額でした。それを見てショックを受けて、自分にも何かできないかと思いました。デザインしたリボンのアクセサリーを中国で作ってもらって、それをお祭りやイベントで売るなどして、母と一緒に活動しています。貯めたお金で井戸や学校のトイレ建設に役立ててもらおうと考えました。一昨年の夏に10万円貯まったのですが、コロナで工事が遅れると言われて。私が訪問した寮にパソコンなどを寄付させて頂いて、次は学校を作りたいなと思ってこういう活動をしています。

 

南出さん:学校を建てるというのはメイサさんが実際に行った所で?

メイサ:田舎の方だと、学校といってもトタン屋根や土の床で。ちゃんとした学校を作ってあげたいと思いました。特に場所は決めてないんですけど、綺麗な環境で勉強できたらいいなっていう感じです。

 

南出さん:へー、すごいね。同じ世代の人たちに知ってもらうっていうのが貴重な活動になりますね。中学生の視点から「こんなことをしたら知ってもらえるんじゃないか?」というアイデアはありますか?

 

ココナ:学校で寄付や活動をやっている子が多いので、呼びかけできる環境で寄付とか中心にやっていけたらなと思っています。

 

南出さん:ぜひ頑張ってください。ここ(神戸女学院大学)の卒業生で、フィリピンのスラム街に住む子どもたちとファッションショーをする試みから、その子どもたちの将来の仕事につながるような支援活動をビジネスにしている方もいます。 楽しみながらできるといいですね。

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